東さんがフィギュアスケートを始めたのは、小学5年生の時。
選手としては遅いスタートだった。
きっかけは、運動嫌いを心配した親御さんが様々なスポーツを勧めトライしている中、友達に誘われたのがスケートだった。
スケートは、非日常で周りと比べられないことが楽しく大学卒業時の引退まで、明治神宮外苑アイススケート場で続けた。
小学6年生からはシンクロナイズドスケーティングも始め、メンバーの足を引っ張らないようにとシングルも続け、引退するまで両立を貫いた東さんのアスリート・ストーリー。
ゲストプロフィール
名前:東 信幸
現在の職業:経営者/スポーツトレーナー
株式会社HATHM代表取締役
株式会社相模原プロセス取締役
競技歴:13年
(シングル11年シンクロ12年)
東さんに、続けられた理由を伺うと、「後半からはそれぞれ、全く違う楽しさを感じて両立していた。」
シングルでは高校卒業時は4級だったが、大学生になってから一気に伸び、ダブルアクセルや3回転を4種類飛べるようになり7級まで取得。
実はこの過程に今に繋がる大きな出会いがあったが、それは後述する。
シンクロでは、当時強豪校だったチームに勝ちたいと思ったという。大学1年生の時にようやく勝ち、日本代表として世界選手権に行った。
世界選手権での目標は10位以内。
世界の舞台は楽しかった。非日常で4分半に1年間が詰まっているのが魅力だと感じた。大勢の人が熱心に応援してくれ、やっていて良かったと思えた舞台だった。
結果は最高が13位。
しかし結果以上に大きなものを得ることができたできた。
初めて世界選手権に行った時は男性が4人、女性が12人。次は男性1人だった。
キャプテンやサブキャプテンを経験し、メンバーとの調和を取ることにも努力をした。
「大勢でやっていても結局は1人1人。1人1人の話を聞いて理解する。1対1の人間として関わっていくのが重要」。
その1 +1の足し算がチームをまとめ上げる力となる。大きな学びを得た。
シンクロで得たこの学びも、後々セカンドキャリアにおいて重要な能力となった。
「バネトレとの出会い」
高校1年生時にシングルでの怪我がきっかけで腰椎分離症になり、半年間スケートを休んだ。様々な回復方法を試していく中で、あるトレーナーの先生と出会った。
そのトレーニングとは、「正しい体の使い方を教わるバネトレ」。怪我をしやすかったのは要するに体の使い方が悪かったという。
簡単にいうと、基本的な運動能力と、体のバネを身に付けるジャンプの仕方を教わった。
大学生になりトレーニングで飛べるイメージができた時、その日のうちに3回転を跳べた。「こんなふうに飛ぶと飛べちゃうんだ」。バネトレがきっかけで7級まで取れ、劇的に上達した。
それが引退後、現在の職業の師匠となった。
全てがつながっていると感じる。
大学卒業後は一般企業には就職せず、トレーナーとしてバネトレの先生に弟子入りし学んだ。
理由を聞くと、「僕は陸上で上手くなった人なので、氷上で出来ないことを陸上で練習し、出来るようしてあげたい。それが僕の役割」。
運動音痴だったからこそ様々なことを伝えられる。シングルとシンクロ、どっちもやってきたことも自分の強みと分析した。
7年前に独立し、会社を設立。現在は明治神宮外苑アイススケート場の地下にスタジオを持つ。
生徒はフィギュアスケーターが9割で、コロナ前は年間3000レッスン行っていた。
レッスン生が全日本ノービスで優勝したり、跳べなかったジャンプが跳べるようになったり、7級が取れたという評判を呼び「困ったら相談すると言うところになっている」。
「子供の運動音痴をなくしたい」というのがバネトレ先生としての一番の思いだという。
〜コロナ禍で〜
バネトレ講師として順調に歩んできた中、コロナ禍となった。
「東京2020」関連でのジムの閉鎖もあり、以前からスケート選手だけではなくもっと広げたいと模索していたが、その時期が来た。
昨年、スポーツ指導者超会議という指導者育成の為のオンラインサロンを立ち上げた。現在約70競技の関係者252人のメンバーがいて日本代表選手も70人いる。協会の会長や大学の経営陣もいる。
様々な人がつながって大きな価値づくりをしていくオンラインサロンでは、交流会やお互いを応援するプロジェクト等をしながらスポーツ事業を行っている。
スポーツ業界の発展につながるようなディスカッションをし、選手目線だったり指導者目線だったり様々な目線を共有し、発展を目指している。
その一環として、マイナー競技の認知度の大きな向上を目指すイベントを3月に開催予定。
大学のキャンパスをまるごと借り、パフォーマンス軍団ともコラボして新しいイベントを作っていく。こうした大きな試みが行えるのも、様々なメンバーの人脈があるからこそ。
更に教育として部活のサポートの仕組みも作っている。
大学の部活は資金繰りが厳しいところが多いが、早稲田大学のレスリング部はスポンサーを30社持っている。学生たちが自分たちで営業して資金を集め、金メダリストも誕生した。それを模範にと考えている。
学生にとってはインターンにもなり就活にも役立つだろうし、学生起業家も出てくるだろう。部活を応援する経営者の価値も上がる。そうしてスポーツの意義、価値を高めていきたい。
いずれは、高校や中学校の部活にも広げていきたいと考えている。
そして10年後には、スポーツの総合施設を作るという目標もある。
スポーツが繋がり共有できる環境があれば、もっと盛り上がると感じている。ショッピングモールなどに作ることで、地域の活性化にも繋げていきたいと考えている。
シンクロで身につけた、1 +1の足し算が、その後の人生で大きな資質となり、コロナ禍を乗り越える力にもなった。
〜スケート界に〜
現在、小塚アカデミーのスケート講師としての一面も持つが、スケートに関しての役割は、基本的にスケートの先生の通訳だと思っている。
スケートのインストラクターの先生は、スケートの才能がある方々。先生方が感覚的に出来ることを分けて考え、陸上で教えることが通訳。
そして、スケート業界と他の業界の橋渡しもしたいという。例えば縄跳びの世界チャンピオンの方の縄跳びのスクールをやり、ジャンプに活かす。他の競技のスキルを流入できたら面白いとアイディアは尽きない。
シンクロ出身者としては、チームにも自分たちでスポンサーをつけられるような活動ができたらと願う。社会に自分たちの価値をアピールする手助けしたい。
〜後輩たちに〜
スポーツ選手は感覚的なことが優れているが、すごく頑張ってきた経験がその競技の中でしか活きないと思っている選手も多い。しかし、スケートで学べることは多くあると語る。
自分を表現する能力、自身をコントロールする精神力、集中力は、社会を学んでいることだと思う。それを分析すると、社会に通用する人生の価値が生み出せる。
その為には、言葉にする術、言語化するスキルが必要だと感じている。
言語化することと、選手としての経験を見える化することのお手伝いもしていきたいと、今アスリートに自分の想いを発信する場も作っている。
自分の経験を発信することで、自らを分析し、言語化することに繋がる。資料作りなどもアドバイスしている。
スケート人生が終わってから別のことを1から始めるのではなく、スケートを通して多くのことを学び、社会に通用する人間になっていることを知ってほしい。
そうすると社会が欲しいと思う人材になっている。
実はこれにはモデルがいる。スポーツ指導者超会議で繋がった、米アイスホッケーNHLの現役選手だ。彼の自分を口頭でも表現する力に感心した。
他競技との交流で学んだ素晴らしさを伝え、続く人がでればと願っている。
〜後記〜
とても礼儀正しく、律儀な印象の東さん。
お話を伺うと、その情熱や行動力に感心させられました。
その根底にある、スケート界を、スポーツ界を、スポーツをする人の環境をよくしたいという想い。どこから来るんだろうという情熱と冷静な分析力。
選手引退後、トレーナーになり、その後起業家になる。既に後進のモデルになる人材になられていると感じます。しかしまだまだ目標が高い東さん。これからのご活躍もおおいに注目し、楽しみにしています。
東さん、ありがとうございました!
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